レントゲンがX線を偶然発見したのは、1895年のことでした。もう今から100年以上も前のことになります。この発見は科学の世界に一大センセーションを巻き起こし、元素の詳しい解明へつながっていきました。
- 発見の歴史 (キーワード:X線 α線 β線 中性子)
- X 線の発見から放射性元素の発見へ
- 放射線の探究へ
X線の発見から放射性元素の発見へ
放射線の歴史は、レントゲンのX線の発見から始まる。真空の放電管を使って陰極線の研究を行っていたウィルヘルム・C・レントゲン(1845-1923)は、1895年11月8日、黒い板紙で覆ったガラス管を放電させると、暗室内の白金シアン化バリウムが蛍光を発しているのに気づいた。それまで知られていない何かが放電管から出ているに違いないと考え、それをX線と名づけた。
翌年、X線のことを知ったフランスのアンリ・ベクレル(1852-1908)は、放電管からX線が出るのと同じように、蛍光物質からもX 線のような放射線が出るかもしれないと考え、黒い紙で完全に遮蔽した写真乾板の上に、蛍光物質であるウラン化合物(硫酸ウラニカルカリウム)を置き、太陽光線に当てる実験を行った。
ところが天気が悪いときに、机の引き出しにウラン化合物といっしょに入れっぱなしにしておいた写真乾板を現像してみると、鮮明な像が写っていた。このことから、ウラン化合物そのものに放射線を出す能力があることを発見し、それをベクレル線と名づけた。
このベクレルの研究成果に興味を持ったのがポーランド出身のマリー・キュリー(1867-1934)で、夫と共にベクレル線を出す物質を化学的に分離することを始めた。その結果、ウラン鉱物から放射性元素ポロニウムを分離し、さらに、ウランやポロニウムよりはるかに強い放射能をもつラジウムの分離にも成功した。なお、放射能や放射線という言葉は、このときに初めてキュリー夫人が使ったものだ。
放射線の探究へ
放射性元素の存在が確認されると、研究者は今度は放射線の実体を探究し始めた。アーネスト・ラザフォード(1871-1937)は1899年にウランから2種類の放射線が出ていることを突き止め、これをα線、β線と名づけた。1900年にP・V・ヴィラールが、X線に似た透過力の強い放射線を発見すると、ラザフォードはそれにγ線の名前を与えた。
β線が電子線であり、γ線が電磁波であることが明らかになるのはその数年後のことだが、α線がヘリウムの原子核とまったく同じ構造であることが解明されるのは1908年まで待たなければならなかった。
さらに、ウラン原子が、α線とβ線を出すことによって、新しい原子に変わっていき、最後には放射能のない安定した鉛原子になることも解明された。
20世紀に入ると、原子核構造の解明がいっそう進みラザフォードは1919年、窒素原子にα線を当てると酸素原子に変わることを発見した。これが世界初の人工的な原子核変換だった。その後、ジェームズ・チャドウィック(1891-1974)によって中性子が発見され、キュリー夫妻の娘夫婦による人工的な放射性物質の生成、核分裂反応の発見と続き、今日の原子力技術の基礎ができ上がっていった。
| 1895 | X線の発見/ウィルヘルム・レントゲン〔ドイツ〕 |
|---|---|
| 1896 | X線の電離作用の発見/J.J.トムソン〔イギリス〕 ウランの放射能の発見/アンリ・ベクレル〔フランス〕 |
| 1899 | ポロニウムとラジウムの発見/ピエール&マリー・キュリー夫妻〔フランス〕 α線とβ線の発見/アーネスト・ラザフォード〔イギリス〕 |
| 1900 | γ線の発見/P.V.ヴィラール〔フランス〕 ※ラザフォードが1903年に命名 |
| 1908 | α線の構造を発見/ラザフォード〔イギリス〕 |
| 1919 | 原子核の人工変換に成功/ラザフォード〔イギリス〕 |
| 1932 | 中性子の発見/ジェームズ・チャドウィック〔イギリス〕 |
| 1934 | 人工放射能を作り出すことに成功/ジョリオ&イレーヌ・キュリー夫妻〔フランス〕 |
| 1938 | ウランの核分裂反応の発見/オットー・ハーン&リーゼ・マイトナー〔ドイツ〕 |

アンリ・ベクレルがウランから出る放射線を写真乾板に感光させた写真
(Courtesy of Maria Sklodowska- Curie Museum,Warsaw )

























